山本夏彦「世は〆切」突っ込め
突っ込め
小津安二郎監督の「大学は出たけれど」は昭和四年の作である。
一度見たいと思いながらまだ見ていない。
なぜ見たいかというと、そこには凍結された昭和四年がぎっしりつまっていると
想像するからである。
私は居ながらにして昭和四年を呼吸できるのである。
まことに映画は情報の宝庫である。
昭和四年はカフェーの時代である。
ライオン、タイガー、美人座など大資本のカフェーの時代で、これは昭和六年
ごろ相次いで廃業した。
そのカフェーの女給で容姿と才あるものが独立して店をもって、以後バー乱立
の時代になって戦後に及んだ。
昭和四、五年は帝大出の新卒が三割しか就職できなかったころである。
山本夏彦「世は〆切」P61・62 平成八年一月十五日文藝春秋社刊