むらぎも
「むらぎも」は「こころ」にかかる枕詞で、群肝と書く。
むかしの人は心は胸のなかにひしめいていると思ったのだろう。
むらぎもの心楽しの春の日に 鳥のむらがり遊ぶを見れば(良寛)
内田百閒の随筆の題に「いささ村竹」がある。私は漱石の弟子は英文学の
衣鉢を継ぐものはあっても、漢詩文を継ぐものはなかったと書いたが、百閒は
その一端を継いでいる。
ただめったに見せないだけである。
百閒はドイツ語の教官でありながら、随筆中にその片鱗を示したことがない。
ひょっとしたらドイツ語の先生なんてウソじゃないかと思われるほどである。
山本夏彦「世は〆切」P97 平成8年1月15日文藝春秋社刊