KATZの菜園便り

四季折々徒然草ー晴耕夜読聴暮らし

山本夏彦「浮き世のことは笑うよりほかなし」

f:id:katzenthal:20180214185718j:plain

  どっちがエライか住宅とビル 石山修武

 

石山 江戸の町は制限だらけだったから、お隣りに合せるとか細かい所で職人が

腕を競ったのがよかったでしょうね。

そのあと微差でなく大差で競うようになってだんだんおかしくなってきた。

自分でいちばん帰ってみたいのは江戸末期の町ですね。

山本 江戸時代は商売によって着るものや履くものが決まってたから、その中で伊達

であったりいきfであったりしていればよかった。

洗練されるのにむずかしくなかった。

何よりわからないのは椅子の生活と畳の生活です。

あれは大問題だと思うんですけれどだれも問題にしない。

ひとを「いす人間」と「たたみ人間」に分けると。たたみ人間の方が多いんじゃないか

と思っていたら、天下はいす人間になっちゃった。

 

石山 でもいまだどんな建売にもプレハブにも、必ず一部屋は畳の部屋がありますよ。

山本 だけど減ったでしょう。

二十年前の建売っていうと洋風の部屋の方が申しわけ程度にあったのに、みるみる畳の

部屋が減ってとうとう一部屋になっちゃた。

上等ってことは畳がないことなんですよ。

最後のたたみ人間、吉田五十ハさんがなくなったせいかな(笑)

 

石山 この前ある人からおもしろい話を聞きました。

これから二十一世紀はどうなるんだっていうはやり未来論の中でその人、「おそろしく

古い人間が出てくるんじゃないか」って言ったんです。

山本 そうでしょう。

そうすると僕なんか浮かばれるね。(笑)

石山 山本さんは古くないんですよ。

山本 もちろん、古くなんかありませんとも(笑)

石山 畳と椅子を論じたら古いなんていうのはナンセンスですね。

この問題に答えられる設計家はあまりいないと思います。

 

「浮き世のことは笑うよりほかなし」P140・141  2009年3月26日 講談社