池波正太郎「あるシネマディクトの旅」2
居酒屋【B・O・F】2
けれども、四十何年間、日本へ来たフランス映画のほとんどを観てきたということは、
たしかに私をくつろがせていたにちがいない。
たとえば、パリからル・アーヴルやドーヴィルまでの距離感覚は、戦前でいうならジュ
ルアン・ジュヴィヴィエ監督の名作〔商船テナシチー〕によってわかっていたし、戦
後ならば、クロード・ルルーシュの出世作〔男と女〕によって、無意識のうちに得て
いたものである。
パリとマルセイユは、数え切れぬほど小説でも読み、映画でも観た。
また、ニースとパリについては、ジャック・フェデエ監督の〔ミモザ館〕がある。
戦前に、あれだけのフランス映画を観ることができたのは、やはり、精力的にヨーロッ
パの映画を日本に入荷してくれた東和商事のおかげだったといえるだろう。
物には、時期がある。
私もふくめて、昭和初期から太平洋戦争までに青春期を送った男女にとって、その時期
に、あれだけのフランス映画を観ることができたのは、まったく、かけがいのない幸福
だった。
私が南仏への旅を終えてパリへ帰って来たとき、一足先に帰っていた吉田大朋さんが、
「あなたの好きそうな酒場を、昨日、偶然に見つけましたよ。さあ、これから行きま
しょう」
そういって、私を旧中央市場の跡へ連れ出した。
池波正太郎「あるシネマディクトの旅」P10-14