澁澤龍彦「フローラ逍遥・椿」
ぽたり 土の上に
[五木の子守唄をフランス語で歌いたいんだがね、きみ、菓子を訳してくれんかな」
私は閉口したが、どうせ酒席の余興、まともに聞くやつはいなかろうと、その友人に
乞われるままに、いい加減にフランス語に直した歌詞を、かたかなで紙に書いて渡してやった。
やがてマイクの前で歌いだした男が「花は何の花、つんつら椿」というところを、私が
書いてやった紙を見ながら「カメ、カーメ、カーメリア」とやり出すと、会場から爆笑がおこり、拍手がおこった。
戦後の一時期、どういうわけか五木の子守唄が大流行していたころの話である。
あやふやな私のフランス語はすっかりわすれてしまったが、この「つんつら椿」を「カメ、カメ、カメリア」と訳したところだけは、いま考えても私の傑作ではなかったかと思っている。
まあ、そんな馬鹿話はどうでもよろしいが、椿は子どものころから東京生まれの私などの、最も親しんできた庭木の一つであった。