澁澤龍彦「フローラ逍遥・菊」
桜だとか菊だとかいった、日本の貴族文化が大いにもてはやした花ほど、じつはいちばんキッシュになりやすい。
江戸の庶民文化が暴露した、このアイロニーにみちみちたメカニズムは、私にはたいそうおもしろい。
はなしが俗悪の方向へ突っぱしったついでに、もう一つ、隠語に属することばの詮索をしておこう。
菊もしくは菊座は肛門の異称である。
その放射状のかたちが菊の花を思わせるからであろう。
だれが考えたのか、うまい命名だと思わざるをえない。
私はサドの翻訳をしたとき、この江戸文学に頻出するヴォキャブラリーのお世話になったものだ。
サド文学は四季をわかず菊の花が満開なのである。
澁澤龍彦「フローラ逍遥」P203
1987年5月15日 初版第1刷発行 平凡社刊