池波正太郎「おおげさがきらい」九万田先生の鉄拳
九万田先生の鉄拳
先日、小学校時代のクラス会があって、九州からちょうど上京中の恩師・九万田正次郎
先生を迎えた。
現在、故郷にあって牛飼いをしておられる老先生に向って、十七人のクラスメートが語
る思い出というのは、いずれも、先生からなぐられた話ばかりであった。
男の子としてウソをつく場合、自分の言動に責任をもたぬ場合、先生の鉄拳が、われら
に下ったのである。先生は、入学以来三年生までを担当された。
三十五年前に七つか八つで、この体刑をうけたわれわれは、そのときも現在も、先生に
対する尊敬の念を失っていない。
先生は渾身をかたむけて教育にあたられ、昼飯はいつも五銭のキャラメル一個だった。
そしてまた父兄の先生に対する信頼は絶大なものがあったことをおぼえている。
(文芸朝日・昭和三十九年7月号・アンケート殴られた温かさ)
池波正太郎「おおげさがきらい」P256・2572003ねん2月15日
講談社刊
池波正太郎「おおげさがきらい」
おおげさがきらい
母は三十前から女手一つで働きつつ、私ども兄弟二人を育ててきたわけだが、
「ろくに教育を受けさせたわけでもなし、私はけっして無理な働き方をして
子どもを育てたわけでもない」
今、六十六になる母は、事もなげに言う。
私ども兄弟も、小学校を出ると、すぐに世の中へ出たわけだが、これとても当然な
ことだと私たちも思っているし、母もそう思っている。
したがって、われわれ母子は昔の苦労話をすることがなかったし、何事にもおおげさ
に事を行ない、言葉に出すことがきらいだということを、母は身をもって示した。
私が直木賞をもらったときなども、
「そうかい」
と、事もなげに一言。
もっとも内心はうれしかったらしいが・・・
(主婦の友・昭和四十二年12月号)