鯉の味噌煮
儀助は、庭の塀ごしに、妙や米と連絡をつけ、数日後の昼下がりに、源太郎と
妙を合わせることにした。
場所は、柴下城下を南へ半里ほどはなれたところにある音水潟のほとりに決められた。
音水潟は、周囲五里ほどの湖沼であって、下流は南加瀬川となり、この川が阿賀野川
に合し、日本海へ入る。
源太郎は子供のころ、儀助につれられて、音水潟へ鯉を釣りに来たものである。
苦肝をつぶさぬように気をつけて、筒切りにした鯉を、よく味噌煮にしたものだ。
(『男振』より)
「池波正太郎の江戸料理を創る」P34・35 1999年4月22日
マガジンハウス刊