KATZの菜園便り

四季折々徒然草ー晴耕夜読聴暮らし

「小津安二郎全発言1933~45田中真澄編」

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  小津安二郎氏に映画と写真をきく

 

記者 『戸田家の兄妹』、あの映画は待ちこがれていました。

小津さんはああいう映画のカメラ・ポジションを全部ご自身でお定めになるのですか。

 

小津 たいてい全部自分で決めています。

 

記者 『戸田家の兄妹』にもありますが、小津さんの映画には昔からカメラの位置を

低くなさって下から見上げるようなカメラ・アングルを非常に多くお使いになっておら

れますが、あれは何か特にお考えになってお使いになるのですか。

 

小津 ああ、あれはよく問題にされるのですが、別に特別の考えがあってやっているわけではないのです。

だいたい日本間を写すと襖や敷居の線がフレイムのどのあたりにくるかというような

カメラ・アングルを使うと非常にうるさく画面のコンポジションがつけにくい。

そんなことも一つの原因です。

 

記者 日本人の生活というのが、だいたい座ってものを見ている。

比較的低いいちから物を見るのが極めて自然に感じるような習慣があるのではないで

しょうか。

 

小津 そういう事も言えるかもしれません。

大体私がああした見上げる、低く目の位置からのカメラ・アングルが好きだ、どうであ

るから好きだ、というのではなく、結局、あれは私の趣味だ、と言うべきかもしれませ

ん。見下すようなカメラ・アングルが好きだ、という人もあるし、カメラは胸の位置に

おく、という人もあるし、或は眼の位置におく人もあるのです。

 

映画には前のカット、それから後につながるカット、こうした連続した二つの接続が

纏った一つの効果を生まなければならないのです。

 

例えばこうして私と師岡さんと話している二人のロング・ショットのカットを向こうの

隅の低い位置から撮す。

次にあなたのクロース・アップになった場合に、今度はいきなりあなたの顔を上から見

下すようなカメラ・アングルで撮る。

そのどちらもコンポジションとして大変優れていてもそれが連続した場合に、視覚的に

なだらかな感じを受けない。

なだらかな感じが生れて来ないと雰囲気がなかなか簡単に描けない。

                                  (「寫眞文化」昭和十六年五月号)

 

 

 「小津安二郎全発言1993~45」P212・213 1976年6月10日泰流社刊