藤井宗哲・川口宗清尼「池波正太郎の江戸料理を創る」
筍飯
江戸開府のころは、草深い田舎の、小さな堂宇にすぎなかった目黒不動も、三代将軍
家光の尊崇をうけて再興され、いまは三十余の堂塔をもつ大霊場となり、江戸市民の尊
敬をうけている。
門前五、六町の間は、貸商店や料理屋が軒をつらねており、名物は筍飯に黑飴・粟餅
だ。
平蔵は、門前の料理屋・伊勢虎の筍飯が好物だし、妻の久栄は、これも門前の桐屋で
売っている黑飴の味を懐しがる。
(そうじゃ。久栄に黑飴をみやげにしてつかわそう)
事件に関係のない見廻りであるし、難事件の後の、ひさしぶりの外出ということもあっ
て、この日の長谷川平蔵の気分は何時になく柔らいでいたといってよい。
役宅から目黒不動までの、約二里半のみちのりを、平蔵はゆっくりと歩み、参詣を
すませ、黑飴を買い、伊勢虎へあがって、酒をたのみ、のびのびとして筍飯の昼餉を
すませた。 (『鬼平犯科帳』ー「俄か雨」より)
「池波正太郎の江戸料理を創る」P18・19 1999年4月22日講談社刊