KATZの菜園便り

四季折々徒然草ー晴耕夜読聴暮らし

山本夏彦「世は〆切」自動車だらけ

f:id:katzenthal:20180411165332j:plain

 自動車だらけ

 

アメリカの自動車はながく世界一だった。

昭和三、四年は円タクの時代で、あれはもっぱらフォードだった。

ナッシュにシボレーパッカード、フォードは仲間のつらよごし、という流行歌があっ

た。子供たちはっそれで自動車の名と型をおぼえた。

 

昭和三十年ごろ私はおもちゃ屋で美々しくエナメル塗装した豆自動車を見た。

手のひらにのせると本物そっくりである。

私は車には乗るが運転する気がない。

けれどもあれを運転したがる男の気持がこの時よく分かった。

 

男はみなおもちゃ好きである。

いま手のひらにのっているのはブリキのおもちゃである。

これが等身大に大きくなって、なかに自分がすっぽりはいって自在に動かす

ことができるのだから、こんなうれしいことはない。

おもちゃのなかにはいれるのだ。

いま自動車はすでに走るものでなく、とまっているものになった。

これで通勤することなど思いもよらない。

してみれば折角買った自動車はひと月に一度か二度しか乗れない。

あとはとまっているものになった。

 

それでも人は車は走っているものだと思っている。

子供の時から走っている図しか見てないからだ。

こうして自動車は国内に売れ国外に売れた。

 

中国の賢人は二千年も前に小国寡民が理想だと言った。

国は小さく民は少いのがいいと言った。

船があっても乗る人がない。

鎧かぶとがあっても着る人がない。

隣りの国と接して鶏や犬の声が聞えるのに民老死に至るまで相往来せずと言った。

二千年も前からこうなることは分かっていたのだ。

そして出来たことは出来ない昔に返れないのだ。         (94・2)

 

 山本夏彦「世は〆切」P71~75 平成八年一月十五日文藝春秋社刊