藤井宗哲・川口宗清尼「池波正太郎の江戸料理を創る」
浅蜊の時雨煮と木賊独活
伊勢屋万三郎が奥から飛び出して来て、
「さあ、おあがり下さいまして・・・・」
「御主人。いま。家の中へ大工を入れておりましてな」
「おやおや・・・・」
「二、三日、止めていただけますかな?」
「二、三日といわず、一月でも一年でも結構でございますよ。先生は私の女房の
恩人。こんなときではなくては御恩返しができません」
「治療は、家の中が片づいてからということにしていただきたい」
「おやおや・・・・」
先ず。こうしたわけで歓待を受け、日が暮れかかるころには、二階の裏座敷で
梅安が海をながめつつ、伊勢屋の名物の浅蜊の時雨煮と木賊独活を肴に酒をのみ
はじめていた。
梅安はここの木賊独活が大好物だ。
アクをぬいて茹でた独活を甘酢へ二日ほど漬け込むのだそうだが、細く切って青海
苔をまぶしたのを口に入れると、
(また春になったのだな・・・・)
しみじみと、そうおもう。
(『梅安乱れ雲』ー「梅安雨隠れ」より)
「池波正太郎の江戸料理を創る」P24.251999年4月22日マガジンハウス刊