KATZの菜園便り

四季折々徒然草ー晴耕夜読聴暮らし

池波正太郎「ル・パスタン」

f:id:katzenthal:20180221132800j:plain

f:id:katzenthal:20180221132949j:plain

 コーヒー

小学校四年生のとき、私は、突然、父方の伯父伯母の家に引き取られることになった。

父母が離婚してから、私は母の実家で暮らしていたのだが、何やら大人たちの話し合い

がついて、谷中の伯父の家へ移ることになった。

もっとも三カ月で、母の許へ帰って来た。

 

そうした事情を、伯父は私に知らせずに、担任の先生へ、くわしくはなしたらしい。

先生は名を、立子山恒長といい、端正・温厚な人柄だった。

私が立子山先生の生徒となったのは一年きりだったが、その年までの成績表の〔操行〕

は全部乙は丙だったのが、立子山先生のときは、すべて甲になった。

 

或日、先生は、私を図画室へよび、出前のカレー・ライスを御馳走して下すったのに、

びっくりしていると、

「君はお父さんやお母さんと別れて暮らしているそうだね。何か、つらいことはない

か?何でもいいから私の相談しなさい」

やさしく。そういって下すった。

 

さて、このほど、先生の甥御さんで、詩人の長田弘さんから〔食卓一期一会〕というユ

ニークな詩集が送られてきて、伯父の立子山先生についても、ふれてあるのが、なつか

しかった。

それによると、先生は食べ歩きが大好きだったらしい。

そういえば、むかしも洋食屋からカツレツだのビフテキだのを出前させ、ナイフとフォ

ークをぴらぴらさせながらめしあがっている先生を見ることは、めずらしくなかったも

のだ。

 

立子山先生は、甥の長田さんに、こんなことをいったそうだ。

「人は、独りでコーヒー店へ行き、一杯のコーヒーを飲む時間を一日のうちにもたなけ

れならない。どうでもいいようなことだけれどね」

 

この言葉の意味は深い。

 

そして先生は八十歳をこえてからも、野火止の幼稚園(晩年は園長をしておられた)か

ら自転車に乗り、日に一度、かならず街へコーヒーをのみに行かれたという。

 

長田さんの本は、私が知らなかった先生の風貌を見せてくれた。

 

 「週刊文春」一九八七年十月二十二日号

 池波正太郎「ル・パスタン」平成元年五月十五日 文藝春秋社刊